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記憶を辿って、灯火をつける。 そこには倒れている明の姿があった。 「賀茂!賀茂!」 慌てて駆け寄って耳元で叫ぶ。心臓に耳を近づけると、鼓膜を揺らす音の存在は確かにあって、光はそのまま座り込んだ。 「あー…よかった…」 深々と溜息がもれてくる。落ち着いてきたせいか、寝息に近い呼吸も聞こえてきて、光は口元を綻ばせた。 もともと体力のない明は受身を取ることすらできないままに、後ろに倒れて意識を失ったようだった。 「よかった…」 もう一度呟くと、泣きたくなるほどの安堵感が背筋を駆け上がってきた。 灯りが風に揺らめいて、明の横顔の陰影も揺れる。三日ほど会わなかっただけだったが、明の頬は明らかにこけていて、ひどく消耗している様子が見て取れた。 その姿をまのあたりにしたとき、確かに胸の疼きを感じて、光は思わずはっとする。 頼りない灯火ですら、明確に映し出す肌の白さ。 剥き出しにされた腕の驚くほどの細さ。 泣いていたせいだろう、濡れた線が頬に幾筋も引かれていた。 「賀茂…おまえ…」 胸が痛いという言葉の意味を、ヒカルは初めて痛感していた。 「ごめんな…」 ひとりでに出てくる謝罪。そっと手を伸ばして、額に触れた。温かい熱が指先から伝いあがってくる。 その温かさが自分を求めているような気がして、光はそのままその額を撫でてみる。ひどく優しい気持ちがどこからともなく滲み出てくる感覚に、光はしばらく飽きることなく明の額から髪へと繰り返し撫でていた。 半刻近くもそうしていただろうか。 「ん…」 ゆっくりと瞼が上がって、明は視界に光の姿を認めた。 「近衛!」 勢いよく上半身を起こしたせいで明は眩暈を覚えて、床に手をついた。 「賀茂!大丈夫か?」 光が肩を抱いて崩れ落ちそうな明の身体を支える。その咄嗟の行動の素早さに身を任せざるをえず、明は唇を噛み締めて光から目を逸らした。嬉しいと、真っ先に心に入ってきた感情が、明は自分で許せなかった。 「おい、ほんとにお前大丈夫かよ?」 腕の中の明が自分を見ようとせず、また、だからと言って、身体を離そうともしない状況に、光は心配を募らせて性急に明の肩を揺すったりしてしまう。 心配そうな声音を肌で感じ取って、それでも明の素直になれない心は、そんな光らしい優しささえまっすぐには受け取れなかった。 「…優しいな、近衛は」 目を合わせないままぽつりと呟いて、明は今度はゆっくりと身体を起こし、光に背を向けて座った。 「賀茂…?」 「すまなかった。僕は君たちに感謝こそすれ、それ以上のことなんて望んではいけなかったのに…」 弱々しい明の声はところどころ震えていて、感情を必死で押し殺そうとしているのが光にも伝わる。 今の明はきっと自分に顔を見せたくないのだということは光にも分かったけれど、それを許したら解決しないのだということにもまた、光は気付いていた。だから悪いと思いながらも、明の前に回りこんで、顔を覗き込んだ。光の動きに起こる風が灯りをゆらして、部屋全体もゆらゆらと揺れた。 「君たちって?」 下から見上げるようにする光の大きな瞳を見ると、明は観念したのか、もう逃げようとはしなかった。ただ目をあわせることはできず、暗闇でも金と分かるその前髪を見遣った。 「君と…佐為殿」 「お前、何言ってんだよ?望んじゃいけないとか…おかしいこと言うなよ」 明の言葉を最後まで聞きもしないで、間髪入れずに光は声を大きくした。どうにも明の言っていることは、光には的を得ないことばかりだった。その光の声と口調に、明はまた不穏な表情を浮かべ始める。 「…おかしくないさ」 これでは先刻の言い争いと同じになってしまう。 卑屈な口ぶりに光はそう直感して、思わず口よりも先に手を出してしまった。自分がどれほど相手を大事に思っているかを、とにかく伝えるために。 「賀茂の馬鹿!」 両の腕を差し出して、目の前の相手を思い切り抱き締める。 そのとき光の狩衣の袖が大きくひらめいて、風が舞い起こり、部屋は再び闇に包まれた。 「…近衛…?」 突然覆い被さってきた光の身体と、抱き締められる圧迫と、そして再び夜の闇。 明は何が起こっているのか理解できず、不安気に光を呼んだ。 「馬鹿、賀茂の馬鹿、馬鹿馬鹿!…お前のことそんなねじまがったヤツにしようと思って、お前のこと大事に思ってるんじゃないやい!」 ぎゅうぎゅうと、明の身体を思い切り締め付けて、光は怒ったように言葉を続けた。それは決して優しい抱擁ではなかったけれど、光の体温と想いを苦しいほどに明に伝えるには、最善の方法だったかもしれない。 剣の使い手である光の、よく鍛えられた腕の硬さを全身で感じ取りながら、明は胸の底から湧き上がってきたような吐息をついた。それは明の心を濁らせていた感情を、濾過(ろか)してゆくようだった。 「……ごめん…」 濾過された感情は、綺麗な雫に化けて明の頬を濡らして行く。言葉にならない言葉を伝えようと、明も腕を伸ばして光の背に回す。 「…馬鹿…謝るなよ…」 子供の頃に父や母が与えてくれたものとは、一線を画した不器用な抱擁は、幼くてぎこちなかったけれど、温かくて特別で、そして互いの想いをきちんと伝え合うには十分だった。 |