神すら触れぬ柔らかい場所 ***6*** |
空気がシンと音でも立ててゆくように沈んだのが、まるで目に見えるようだった。 君は僕のライバル、僕は君のライバル。 そうあるためには、そういつづけるためには、こんなことしちゃいけなかった。 …そういうことだろうか。 なんだか胸が痛んだ。 次に浮かぶのが、またヘンな感触。 どうして進藤は突然そんな大人びたことを言うのだろう? 違和感が胸の中に生まれてくる。 目の前で進藤は泣いている。バカって大声出したその口から、嗚咽を零しながら。 まるっきり子供のように謝ってた彼が、「死んだら碁が打てなくなる」…だなんて、ちょっと飛躍しすぎてやいないか? 勿論僕だって感謝されたいと思ってあんなことしたわけじゃない。でも謝罪の次が、感謝より先に本気で怒ることだなんて…ちょっとショックだ。 それでも。…それでも、進藤が怒って指摘したことは、正しいと思った。 死んだら碁が打てなくなる。それは困る、確かに困る。悔しいけど、それは正しい。 「……ごめん」 他に言葉も浮かばなかった。悔しいけれど、その指摘は正しいし、謝るべきだろう。 そう思って、その言葉を口にした。 泣き声を止めて、進藤は暫く僕を見た。けっこう、長い時間、僕らは見詰め合ってたと思う。 先に視線を外したのは、進藤だった。窓のほうを、見た。 そして冗談っぽくではあったけれど、こう言った。 「ほんとに悪いと思ってんのか?お前なー、体あるからって調子に乗るなよ?」 ……正直に、本気で、心底腹が立った。 そこからはもう、最悪のパターンだった。 病室で怒鳴りあいの喧嘩になって、看護婦さんとお医者さんに怒られた。 僕は半ば強引にタクシーに乗せられた。進藤がどうしたかなんて分からない。 帰宅した僕の姿を見て、お母さんは心底驚いた。簡単に事故の状況だけ話すと、疲れてしまったからと言って、僕は部屋に篭った。 「………」 眠気は全然なかったけれど、とりあえず布団に潜り込む。 天井を見ていると、今日の一連の出来事が見えるようで溜息が出てくる。 本当に疲れた。でもそれは体が、じゃない。痛み止めも飲んでいるせいか、足の痛みだってほとんどない。 進藤の一言に疲れたんだ、僕は。 なんだろう…僕の想いは、どうしたらいいんだろう。 もし次に同じ場面があったとして。 何度考えても、僕はやっぱり彼を庇うと思うんだ。 でもそれを彼はヨシとしない。しないどころか、本気で怒る始末だ。 …好きだったら、あんな場面庇うのが当然じゃないか。 進藤は僕のこと、いったいどう思っているんだろう? 恋人である前にライバルか? …誇らしいはずですらあるその思いつきに、僕は傷付いた。 じゃあ僕にとっての進藤は、ライバルである前に恋人なのか? …それはそれで、進藤に失礼な気もした。 分からない。 ただ好きという感情だけは、確実にここにあって、だから苦しかった。どうしたいのか、どの位置にいたいのか、彼をどの位置におきたいのか、それすら分からないで、ただ彼が好きという想いだけがここにある。 考えて、考えて、眠れなかった。 翌日。 僕は思いがけないアテ間違いをして、負けた。 ----ダメかもしれない。 「負けました」 言いながら、何故かそう思った。 僕はこのままじゃダメになってしまうかもしれない-----と。 囲碁をやっていて、初めて感じた危機感だった。 ***7*** |