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「佐為…お前まさか…」 嫌な汗が背を伝うのを光は感じていた。 「落ちてたものはなんですか、光?」 光の問いを宙に浮かせる形で、佐為は明るい口調で問い掛けた。 「佐為!」 恐れと焦りと…そして本当は確かに存在する疑念が、光の中で渦巻いているからこそ、声が鋭くなる。部屋に駆け上がり、地団太を踏むように佐為の前に立ちふさがる。 けれど光の怒声に全く動じることなく、佐為は微笑んだまま。 「…もしかして松の小枝ですか?」 囁くように枯れた声は、熱のせい。 呼吸の浅さを光に気取られないように、小さく口を動かしているけれど、肩の上下を見逃すほど、光だって観察力がないわけではなかった。 「佐為…お前なんで庇う?」 仕方なく光は疑問を確信に変えて、一気に核心をついた。 「松ですか…光は少々粗雑過ぎるきらいがありますから、意味がきちんと伝わっているのか心配ですよ」 その光の思い切った一手すらも、佐為はかわしてしまう。慈しむような微笑を浮かべたままで。 「なんでだ?なんでお前はそうなんだよ?! 賀茂なんだろ?賀茂の呪詛なんだろ?! 」 もう光には佐為の考えていることが全く分からない。ついに賀茂明の名前を出してしまった自分の言葉すら、勢い任せだった。 うっすらと、そう思わなかったわけではなかったのだ、本当は。 でも考えられなかった。 勘とでも言うべき光の奥底にあるものが、明の姿を心に描いても、気持ちがそれを認めたくなかった。だからこんな風に佐為の口から何かを聞こうとして、もがいてしまっていた。 「もう夜が来てしまいますね」 さすがに苦しいのを隠せないらしく、吐息をつきながら佐為は口を開き始めた。 「光、松はあなたを待っているという意味ですよ。明殿が自由にしたはずの式神がやってきたのですから、きっと明殿を思うあの式神の独断でしょう。式神にそんなに思われて…明殿は優しい方なのですよ。…光、きっと明殿もさぞや苦しいのでしょう。私には分かります。言葉ではないものでしか、彼は表現する術を持たないから、…だからこんな形になってしまう。きっと自分の感情をね、光に対しては押さえきれないのですよ」 時々間を置きながらもとうとうと語る佐為の言葉を、光は呆然と聞いていた。言葉が耳から入って、心に響くまでなんと時間を要することか。 「…でもなんで佐為に…」 漠然と佐為の言いたいことは胸に広がったものの、光にはどうしても納得がいかない。 佐為の指導碁を受けるのが大好きな明。一緒に碁を打ってもらうと、実力が数段上の明が佐為を独り占めしてしまって、光は面白くない位だった。 佐為のことを尊敬していると、誰にでもそう言うことを憚らない明なのに。 「さあそれは…」 もうほとんど表情が読みきれない薄い闇の中で、それでも一際艶やかに佐為は笑った。 「光が明殿のために見つけなくてはいけないことなのでは?」 次の瞬間、光はもう駆け出していた。 「待ってろ佐為!絶対俺が治してやるからな!」 空はすでに夜の色を纏い、薄い月がそろりと地上を照らす。 怒りにも近いけれども、哀しみにも近く、まるで裏切られたかのような傷も感じる。 大好きな人間が大好きな人間を苦しめている。 光には訳がわからなかったけれど、事実はそこに確実に息づいていて、否定のしようもない。 光は明の館に向かってひたすらに駆けていた。 一人残った部屋で、松の小枝を撫でながら佐為は微笑んでいた。 意識はもうかなり朦朧としていたけれど。 「絶対俺が…って、そういうところがね…光は困ったものですよ」 ふふ、と笑った顔は少し寂しげだったけれど、それは月光を浴びていたせいかもしれない。 |