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ばーい、ぽるのぐらふてぃ(笑)
…いや、いつも本気で考えてるけどね。
其の壱・藤原佐為さんのルックス
17巻のインタビューでイラスト集の佐為が綺麗でしたとはしゃぐほった女史を見て、「美人である」というのは鉄板設定だったんだなと、しみじみと思いました(笑)
いや、嬉しいですけど(笑)
まそれはさておき、普通に時代考証的に検証してみましょう。
身長 烏帽子のせいで高く思われがち。平安時代で麗しの長身の君だったと仮定しても、せいぜい165cmもありゃあ高すぎるくらいだろう。が、ヒカルとの身長差を考えたら170cm以上ありそうだ。…ありえないと思うよ…それは…。多分魂だけの存在だから、高いんだっちゅうことにしとこう。ホントにそんなに高いと平安時代なら化け物扱いされかねませんよね…。 髪型 入水する時に髪をきちんと結う人よりも、垂らしてる人のほうが多いみたいなので、とり憑いてるときに垂髪自体はいいんじゃないかと。…問題はその長さと、宮中にいたときの描写でも垂髪だったことだろう。
しかもイタイことに、あの時代の垂髪はあんまり結ばない…。女性で髪を結ぶのは身分の低いものに多かったみたいだし。
あの髪型に一番近いのは多分鎌倉や戦国時代の女性なんだが…。
しかもあの髪型のままで宮中に出入りしてるぜ、いえ〜い(やけくそ)。
このへんでも女性なんだか男性なんだか、読者が混乱したのも無理からぬことであります。
ま、美しければなんでもアリの時代だったんだし、特例だったとしておきます?
ちなみにこういう髪型捏造の起源は「あさきゆめみし」あたりだろう。天然パーマとか炸裂していて、漫画はなんでもアリだと思わせてくれる。
しかしこの髪型で…幼い頃はお稚児さんかなんかだったんじゃないかと、疑わずにいられない。衣装 これも入水するときに狩衣なのはいいと思うけど、宮中でも狩衣なのは恐ろしい行為(笑) 漫画なんだからいいじゃん。っていわれたら身も蓋もなくなるのでアンパーンチ。意外と堅苦しいことが嫌いだったのか、佐為ちゃん。やっぱ帝の寵愛でも受けてたとしか…(死になさい)
狩衣はかなり自由度の高い貴族の平服なので、色・柄ともに基本的になんでもアリかと思います。
ちなみに当時の布はめちゃめちゃ薄かったらしいので、狩衣を脱いだらかなりセクシーな衣装と思われます(笑) 透けて見えたらしいぞ、とりかえばやによると(大笑)
足袋
(8/20 追加)思い切り履いてますね、足袋…。足の裏見せて可愛いとほったせんせいも叫んでたな…(苦笑) いや、まあ、いいんだけどね、漫画だしさ。
佐為ちゃんが表紙にお目見えするときにたまに履いている当時の沓を見ていただければ分かると思うのですが、平安貴族のはきものの先が分かれている必要は全くありませんね(^^;) 一応平安中期から股割れ・紐付きの足袋は履かれていたようですが、貴族だった佐為ちゃんが履いているのは…やや疑問かも。当時は礼式に足を隠すために履いていたみたいです。 多分平安貴族がはいてたのは襪(しとうず)と呼ばれるものではないかと。紐で縛って履く、先の割れていないもので、平絹で作られたものが多かった様子。礼式には錦のものもあったとか。
…なんにせよ、明らかに足袋をはいてるってのは…謎ということですね(^^;)
扇子 一体いつの時代のものなのか、眩暈を起こさせる脅威の重要アイテム(笑)
虎次郎にでももらったのか?佐為(笑) と、倒錯したくなってしまう。
基本的に平安時代の扇は男女ともに使ってたんですが、檜扇は板だし殿上人なら25枚も板を重ねるもの。…どの絵を見てもありえねえ!紙を使うかわほり扇(漢字でない)は夏扇…。これでも十分苦しいけど、この辺りのものを持ってらっしゃったと仮定?
ルックス関係ないけど
入水時期狩衣が白いので、てっきり秋か冬だと思ってたら、扇のこととか考えあわせると、せいぜい9月まで。9月なら菊柄とかなら白い狩衣もありえるらしいので、このあたりが妥協案か?
ぶっちゃけ 男だと言われないと、男なのか女なのか、判断に苦しむところだが、髪形以外は男性ということでいいだろう。口元を隠す行為は女性的に思われがちだが、平安時代なら貴族の男性がやっててもそう違和感ない。あれだけ普通に宮中でやりたい放題の格好をしていることを評価しると(笑)、佐為は文化人として都で認められてたっつーオチにつけるのが無難だろう。
ま、私は東宮あたりが佐為ちゃんに夢中でふぉーりんらぶだったから、やりたい放題だった説を押したいけどね。
ピアス もはやどう講釈を垂れたらいいのかさっぱりわからんのがコレ。しかも幽霊だからついてるんだよ、とこじつけようと思ったら、回想シーンでもついとる。どうにもできん(笑)
しかも真っ赤なピアス。あんな色…そもそも多分あの時代にはありません。…血豆か?!(爆笑)
其の弐・平安時代の藤原佐為さん(笑)
平安時代における藤原佐為さんの暮し振りに関しては、ま〜〜〜ったく白紙といってもよかろうものでございます。
帝の囲碁指南役だったこと以外なんにもわかりゃしねえ!(笑) …ガマガエル嫌いとか、それっくらいか??
つうことで、与えられた数少ない、少なすぎる情報から平安時代の佐為の君とやらに迫ってみたいと思います(笑)
佐為の君の生存時期 「囲碁を始めて千年」という言葉を正直に受け止めるまでもなく、おそらく西暦1000年前後。 キーワードは紫式部や清少納言。 そして囲碁の歴史上平安時代碁が栄えた最後の時期でもあります。他にあの陥れられかたからいって、相当陰湿な貴族の争いがあった時期だと考えられます。
よって、900年代後半を推奨したいと思います。
父親?かも知れない「藤原佐理」さんの生存時期を考えて、980年あたりを生まれた年に設定しちゃいたいかな。
囲碁指南役
としてのお暮しおいおい、あんなに女性に囲まれて…そりゃ、嫉まれもするよ佐為(笑)
と、思ってあげずにいられない、あの「佐為の君がお見えよ」シーン(笑)
映像的には定子か影子のサロンに出張囲碁教室でもしてたっぽいですね。両方のサロンに通ってたんだったら、それはまた物議かもしそうですな。
ま、なんにせよ、女に不自由してなかっただろうことは間違いないけど、それ以上に陰湿な女の戦いに辟易してそうなり。
屈辱の対局 この対局、おっそろしく疑問。
だいたい囲碁指南役を一人に絞ろうってな対局ですよ?それってつまり、命がけの決闘です。…絶対ちゃんと見てる人いるでしょ?ってね。アゲハマのズルなんて、終局時点で記録者に準じる人がいればはっきり分かったことのはず。それがなんであんなことになっちゃうかな??何が起こったのか ここで考えられることは、当時のヒカルがただのガキだったため、佐為は話を分かりやすくしてやった、ということではないかと。
貴族の政権争いなど、ヒカルに分かるわけもないでしょうし。あの後の処遇(都を追われる=島流しです)を考えれば、ただの対局ではないもっと重々しくて曲々しいものがあったという推察にたどり着きます。
つまり、佐為はめでたく陥れられたんでしょうね。囲碁バカすぎてね。
対局をして、そこでズルがあって、佐為が負けた。それは事実でしょう。
でも佐為が本当に負けたのは、碁ではないんでしょうね。
考えられるお立場 きっと佐為の立場というのは、しっかりした血筋などに裏打ちされたものではなかったのでしょう。
其の壱でも考察した通り、本当にあの髪型とあの格好で宮中にいたのならば、一時、位の高い人間の寵愛を受けていたとかそういった類の権力でしかなかったのではないでしょうか。そういう権力って人から嫉まれやすそうだし、とても脆いものだし。
髪をきちんと結い上げていないということは、元服してない可能性すらあります。もしそうだとしたら、全国の佐為受けファンが踊り狂うような可能性が出てきますね(大笑) ははっ …ここでは多くは語るまい(笑)
だって私、攻め佐為も別に嫌いじゃないしぃ(爆)←もしかして爆弾発言?
で、ぶっちゃけ。 きっと性格は相当わがままだったと思いますよ〜〜。
囲碁バカの囲碁命の実体ある人間って…想像して御覧なさいませ。
絶対相手が東宮とかでも「添い寝したら名手の◎◎様と対局させてくれるって言ったじゃないですかっ」とか噛み付きそうです。…ふふっ、ちょっと想像しただけで可愛い奴…じゃなかった、普通に困った根性悪い奴ですよ。
自分の美人さを鼻にかけてない代わりに、碁を打つことに利用しまくり。…鬼だな…。
入水場所考察 川?海?はたまた琵琶湖…?
様々な可能性を考え続けていたんですが、こないだ同居人が新しい選択肢をいきなりくれました。
それは…沼。または池。 …おお!それは考えたことなかった!
都を追われてすぐに入水した、しかも未練を残して…。
あ!一箇所バッチリのとこがあるじゃん!
----深泥ヶ池。さあ、知ってる人は、身の毛をよだたせましょう(笑)
恐怖の心霊スポットでっす。自殺を図ったら死体が絶対あがらない読んで字のごとく素敵な名所vv(死)
あ、でもまだ深泥ヶ池の歴史を調べてないのでまだ結論は保留。
でも、「千年放浪」だっけ?あれの絵だとそれっぽい気もしなくもない。
綺麗なトコロで死んで欲しいという気持ちも無きにしも非ず…なので、そういう場合には近江の海か琵琶湖。
そのものズバリ因島あたりに流されて、そこで入水も秀策ラブマニアにはオススメコースかも。…当時の流罪に因島があったかどうかまだ調べてないから、こっちも保留にゃり!
8月19日。神にご指摘を受けました!
ヒカルの碁小説本にて、佐為様の入水した先は宇治川だそうでございます!!