過ぎ行く夏の一瞬に

〜 きらきらひかる version 〜




「海に行こう」と和谷義高が言い出したのは、8月に入ってすぐのことだった。
7月にも、院生仲間に進藤ヒカルの幼馴染を加えて行ったところだったので、最初にその提案を聞いたとき、伊角慎一郎も進藤ヒカルも少々面食らった。
しかも「進藤と伊角さんと俺の三人で行こう」と、言い張って聞かない。
いまや三人とも立派なプロ棋士。手合いもあれば、タイトル戦の予選もあるし、プロ棋士としての仕事もある。時間が合えば和谷の家に集まったりしているとはいえ、丸一日を遊びで使おうなどという大胆な発案に、伊角もヒカルも二つ返事というわけにはいかなかった。
「じゃあ俺の誕生日プレゼントってことで!一緒に行ってくれたら、物くれってせびったりしねえよ!な?な?」
いつになく必死な和谷の態度に伊角とヒカルは顔を見合わせ、そこまで言うならばと、半ば押し切られた形で男三人での海行きを承諾したのだった。



かくして、三人の予定を合わせると、どういうわけか、ぴったり和谷の誕生日があいていた。
もはや和谷の執念か根性か、はたまた怨念か…と、伊角もヒカルも苦笑い。
そうしてやってきた8月12日は、これまた和谷の気合か祈りが届いたか、すかっとした青空がどこまでも続くような良い天気だったのだった。



「お!見えてきたぜ、和谷っ」
不慣れな運転でハンドルを握り締めている伊角の横には、地図を片手に必死でナビを勤める和谷。たった一人お気楽極楽のヒカルが後部座席から二人の間に顔だけ出して、右や左をキョロキョロとして、思い切りはしゃいでいた。
「ほら!うわー!綺麗な海だなっ。早く泳ぎて〜」
「うるせー!もっと先いかねーと車とめられねえんだよ!」
「和谷!ちゃんと地図見といてくれ〜〜!進藤!あんまり乗り出すな、バックミラーが見えない〜〜!」
海沿いを走りながら、三人は院生時代と変わらないやりとりを繰り広げていた。
はしゃぐヒカルにかみつく和谷、二人のやりとりに振り回される伊角。
今となっては少々懐かしい空気でもあった。



てんやわんやで揉めながらも三人が到着した砂浜は、和谷がネットで調べたとっておきの場所と言うだけあって、人もそう多くなく遠浅の海が広がり、申し分のないところだった。
「よっしゃ〜、泳ぐぞ!」
「おう!進藤、お前溺れるなよ?」
「言ったな!和谷、競争しようぜ!競争!」
「いいけど負けて悔しがるなよ?」
服を脱ぎ捨てて、ヒカルと和谷が車から飛び出してゆく。
「お前ら!プールじゃないんだからちゃんと準備体操とかしていけよ〜!」
車から伊角の叫び声が聞こえたけれど、夏の日差しと海の誘惑に勝ったってつまらない。
「あち!砂があち〜」
「うわ!早く海に入ろうぜ!」
口々に言いながら、二人は子犬がじゃれ合うように海へと走っていった。
焼けた砂が二人が一歩踏み出すごとにきらきらと輝きながら飛び散る。強すぎる太陽に肌がちりちりと痛みを覚える。
普段触れ合うことも少なくなった、夏がそこにあった。
「ったく…」
呟きながら伊角が車から降り立ったときには、二人はもう波飛沫をあげようとしているところだった。



ヒカルもはしゃいでいたが、和谷のはしゃぎぶりも相当なものだった。
遠泳競争では盛大に水を飲みながらも、ヒカルに勝利を収めて大喜び。
悔しがったヒカルに後ろからのしかかられて、沈められ、そこから水中プロレスでひとしきり大暴れ。伊角が途中で止めに入らなければ、二人の前途有望なプロ棋士が溺死していたかもしれない。
息切れのあまり、しばらく砂浜で大人しくへばっていたかと思うともう姿がない。今度は何をやらかしたかと、伊角は慌てて二人の姿を捜した。
「伊角さ〜ん、こっちこっち」
声がするほうを見て、伊角はぎょっとした。
三人しかいないというのに、「海といえばこれだろ?」と、二人は大きなスイカを買って来たのだ。そこでもヒカルが百円多く払ったと言い出して、和谷は絶対計算があってると言い張り、またぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。
「あーもう分かった騒ぐな!俺が奢ってやるから!」
伊角が財布を出してきてそう言った瞬間、二人の喧騒がピタリとやんだ。それはもう、素晴らしいタイミングで。
沈黙の中、にや〜っと、悪戯っ子たちが笑う。
「…おまえら…」
ひくひくと頬を引きつらせながら、伊角はやっとそれだけの声を絞り出した。
それに弾かれたように、ゲラゲラと大笑いを始めるヒカルと和谷。伊角ももう、こんなわざとらしい手に引っ掛かった自分が可笑しくなってきて、一緒になって思い切り笑った。



夏のど真中、一番輝いているところに三人はいた。
四角い碁盤とまあるい碁石。描く色彩は白と黒。
そんな世界から久しぶりに抜け出してきた三人に、神様は出し惜しみせず夏のお楽しみを分け与えているようだった。



遊んで遊んで、たくさん笑って。
太陽が傾いて、そろそろ海へと今日の最初のキスをしようとしている、そんな時間まで。
「進藤〜、俺がコーラで、伊角さんがサプリだぞ!間違えんなよ」
「はいはい、和谷がペプシで伊角さんがアクエリアスね」
「進藤!微妙に違う!」
「へへ〜大丈夫大丈夫」
飲み物じゃんけんで見事一発負けを果たしたヒカルが、駆け足で砂を撒き散らしながら少し離れた自動販売機へと向かって行く。
その後姿を見ながら、和谷は大きく伸びをした。
「あ〜、今日は面白かった。ありがとな、伊角さん」
にかっと笑う和谷らしい笑顔を、伊角は少しだけ複雑な表情で見た。
「…和谷。なんでこんなに三人で海に行くことにこだわったんだ?」
その問いかけに、和谷は一瞬目を見張って、それからふっと小さく吐息をつきながら口元だけで小さく微笑った。
「かなわねえな、伊角さんには。……今年がこんなこと出来る最後の夏だって思ったからさ」
その目尻に滲む寂しさを、伊角は見逃してやりたいと思いながら、目を離してやれなかった。和谷もまたしばらく、その伊角の視線に気付きながらも、目を逸らしはしなかった。
「来年の今ごろはもう…進藤…どんな高いところにいるかわかんねーもんな。ま、伊角さんもだけどさ」
言いながら砂の上にごろんと横になる。伊角の座っている場所からは、顔が見えないように。
「俺だって…まだ伸びるって自信は、ある。…でも、違うよな…俺、来年進藤と笑い合ってられる自信、ねーよ」
「…ああ、そうだな」
素直に伊角も頷いた。
嫉妬も羨望も、そして友としての想いも、全ては混ざり合って、今それぞれの胸の中にある。
来年の今ごろ、自分の胸をどんな感情が占めているかなんて、この歳で誰が分かるものか。
ましてやプロという厳しい世界に身をおいていて。
オレンジ色へと変わってゆく太陽の光は、青い海を燃やして行く。
寄せては返す波たちは、少しずつ満ちてきている。
今日という、二度とこない夏の一瞬は、もうじき終わりを告げる。
「…綺麗だなあ、海。…忘れねーよ、俺」
そう言って、砂を体中につけたまま起き上がって、和谷は振り返った。陽の光が砂を眩しいほどに輝かせ、和谷の身体は太陽を吸い込んだように伊角には見えた。…そして、ジュースを抱えて駆け寄ってきていたヒカルにも。
「一生忘れないと思う、この景色」
ヒカルの姿を視界の端に留めながらも、和谷は強い瞳でそう言った。
「…うん、そうだな」
伊角が呟いたとき、ヒカルが元気よく二人のもとへと戻ってきた。
「おまたせっ」
その瞬間、立ち止まっていた空気が流れ始める。
「おう、お前にしちゃ早かったな」
「なんだよ〜。こんな汗かいて買ってきたんだぞ!ありがたがれよ」
確かに汗だくになっているヒカルが、口を尖らせている姿は二人の笑いを誘った。
「へいへい」
「サンキュー進藤」
それぞれヒカルからジュースを受け取る。ヒカルとおなじように汗だくの缶が掌にひんやりと冷たかった。



帰りの車の中、一番最初に寝てしまったのは、一番はしゃいでいた人間なわけで。
「和谷ぁ、もう寝ちゃったのかよ」
つんつんと、人差し指で頬をつつくヒカルを伊角が苦笑しながら嗜める。
「進藤、寝かしといて遣れよ」
「しょーがないなあ」
意外にあっさりとヒカルは引き下がって、後部座席に身を沈めた。バックミラーに派手な金色の前髪だけがちょこっと映っている。
「…伊角さん、さっき俺がいないとき、和谷と何話してたの?」
ヒカルがぽつんと呟いた。
「別に、なにも?」
信号が赤になって、車は減速する。静かになった車内に、小さな和谷の寝息が広がる。
「さっきの和谷…なんかいつもと違ったから」
「そうか?」
「うん…すげー、強く見えた」
伊角が振り返ると、どことなく不安げな表情をしたヒカルがいた。
こいつのこういうところが始末に負えないと、伊角は思う。だから憎みきれないんだと。
信号は青に変わろうとしている。
アクセルを踏みながら、伊角は笑って言ってやった。
「和谷は強いよ」
ほんとうに。
一つ下の眩しいくらい素質のあるやつを、あんなに世話できるほど強い奴なんて、和谷しかいないと伊角は思うから。
伊角は狐につままれたような顔をしているだろうと、バックミラーのヒカルを覗きこんだ。
思いがけず、神妙な顔をしたヒカルがそこにいた。
「…うん、強いよな」
ああ、こいつもいろいろ分かってるんだなと、思ったときに伊角の中に清々しい気持ちが胸に入り込んできた。
ひょっとしたら、…ひょっとしたらだけれど、これからだってうまくやっていけるかも知れない。
甘い考えかも知れないけれど、そんな思いが伊角の胸を過ぎていった。



「和谷!進藤!ついたぞ!」
結局、ヒカルもあっさり睡魔に負けてしまい、伊角は披露困憊しながらも、どうにか独力で戻ってきた。
「お?もうついたの?」
「帰りは早かったな」
適当なことを口々に言いながら、二人は目を開けた。
「寝てたからそう思うだけ!渋滞に巻き込まれるし散々だったんだぞ!もう夜も遅いよ!」
わ〜っと声をはりあげる伊角に、和谷とヒカルが同時に耳を塞いだ。


「楽しかったなあ。なあなあ、和谷!伊角さんも。来年もまた行こうな?!」
大きな瞳を零れ落とさんばかりに見開いて、ヒカルは二人に笑いかける。
伊角と和谷は顔を見合わせ、一瞬だけ目配せしあった後、微笑んだ。
「…だな、これたらな」
「そうそう、来れたらな」
「絶対!来年も和谷の誕生日に行くんだ!」
ヒカルは今度は車中にも関わらず、地団太をふまんばかりの勢いでそう言った。
しまったと、和谷は思った。
こういう曖昧な言葉を、なぜかヒカルは恐れている。次の約束がないことに耐えられないようなのだ。誰かが自分の元を去って行く予感めいたものに対して、どうも過敏になりすぎている。
「伊角さん、車返しにいくんだろ?俺たちここでおりようぜ、進藤」
和谷がヒカルの言葉を宙に浮かしたまま、そう言った。ヒカルは不満そうに頬を軽く膨らませていたけれど、自分の言葉の理不尽さも多少は自覚しているのか、何も言い返さなかった。
和谷がさっと車を降りるのにならって、ヒカルも車を降りた。
「じゃあな、伊角さん。運転サンキュ」
「和谷も進藤もけっこう時間遅いけど大丈夫か?」
伊角が窓を開けて心配そうに二人の顔をうかがった。
「女じゃあるまいし大丈夫にきまってんじゃん!」
和谷が一際明るく返事をするから、伊角もそれ以上は何も言えず。
伊角が心配していることはそんなことではないと、言われた和谷にだって十分分かっているのだと、その表情は語っていた。
「じゃあまたな、伊角さん」
ヒカルも笑って手を振った。




空には夏の星座たち。
最寄駅までは僅か数分。ゆっくりとした足取りで、二人は歩み行く。
「…進藤」
暫くの沈黙の後、和谷が呼びかけた。
「ん?」
「お前さ…去年手合い休んでた後、結局戻ってきたじゃん?…それからのお前って変わったよな」
ずっと何も尋ねないでいた疑問を、和谷は口から手放した。
「…そうかな」
「そうだろ?」
はぐらかすような曖昧なヒカルの言葉を瞬時で打ち消す。
「さっきみたいに、なんでかお前、約束とかしたがるよな?前はあんなことなかったぞ。なんか辛いことがあったのか?」
暗闇の中、和谷の瞳がヒカルを射抜いた。
もう駅は見えかけているのに、二人は足を止めていた。
「…辛いなんてもんじゃねえよ」
ふっと和谷の視線から逃げて、ヒカルはぽつんとそう言った。
それは和谷の望んだどんな答えよりもぼやけていたけれど、どんな答えよりも的確だった。
もう誰も失いたくねえんだよ。
まるでそう言っているようにすら聞こえる。
そういえば、急に大人びたと、和谷はヒカルを見詰めなおす。
碁を続けていくことで、得るもの・失うもの。
一つ年下のヒカルは、もうそれを知っていて…それでもなおかつ自分を、自分と伊角を失いたくないと、そう言っているのだ。
「でもオレ、この道を行くって決めたんだ」
今度ははっきりと、和谷を見据えてヒカルはそう言った。
無邪気な笑顔でどんどん強くなっていったと思っていた進藤ヒカルが持つ、悲愴な影と碁に対する壮絶なまでの覚悟に、しばし和谷は圧倒された。
「進藤…」
「だから、一緒に行こうぜ、和谷」
何を意味しているか、和谷にはなぜか伝わっていた。
もうヒカルは自分より高いところにいる。その高みから、一緒に行こうと、一緒に行ける筈だと、そう言っている。
碁を愛しているなら、続けてゆけるなら、どの位置にいても道は同じなのだと。
「……」
「オレも逃げねえ。だから和谷もオレから逃げんな」
そう言った後、ヒカルは無邪気ないつもの笑顔で笑って見せた。
ヒカルから和谷への一番の誕生日プレゼント。
「…分かった」
確かにそれを受け止めることが出来るほどに、和谷は強くて、まっすぐで、碁を愛する人間だった。


駅に向かって走ってゆく二つの影。
「急げ!終電かも知れねえぞ!」
「よっしゃ、競争だ!」
「お前昼も負けただろ?」
「走りは得意だぜ?!」
「わ〜、電車来そうだ!とにかく急げ!」




走り去った二人が立っていた場所を、白い月がそっと照らし、夏の夜風がふわりと流れ去った。





はしゃぐ二人をこよなく愛した、碁神は今はいずこにか
何度も戦い、鬩ぎ合い、 それでもともに歩み行く
神用意した道程は  遠く長くも美しく

過ぎ行く夏の一瞬に
空の声を聞け、子供らよ

道は遥か高みへと 永久に続いて行くのだと
導き、そして導かれ、そうして進み行くが良い

過ぎ行く夏の一瞬に
見守る瞳を感じてか?

先行く風を聴くがいい
瞬く光を見るがいい

誰もが誰かのためにいて
誰もが誰かのためにゆく

いとおしきかな うつくしきかな
積み重なり行く遠い道程










<後書き>

和谷〜、お誕生日オメデトウ。
ほんとオメデトウvvv

この話はもともとカモミールさまのヒカ碁ファンクラブ「〜佐為・偲・再〜」の和谷お誕生日企画のために書いたお話です。
あちらにあるのがオリジナル。
この「きらきらひかるversion」はサイトUP用にいじってみたものです。
途中までは同じで、結末が違います。
多分出来栄えとしては、オリジナルのほうがさらっとしてていいと思います。
でもそこはそれ、管理人佐為ちゃんファンだからさっ(笑)
ついうっかりいじくっちゃったのですよ。←うっかりってアンタ…。

佐為は和谷のことけっこう好きなんじゃないかなって勝手に思っていて(笑)
ていうか、佐為は碁が好きな子供は皆好きなんだけど。
私の中では虎次郎に近い人間が和谷なんですよ。このへんはもう、かなり勝手な推測ですが。
和谷が秀策が好きでsaiが大好きっていうのも可愛いし。
(saiへの入れ込みっぷりは、ホント可愛いですよね〜〜〜〜vv)

もし、佐為がこの時点でもヒカルについていたら、ヒカルに
「一緒に行こうといってあげなさい。和谷はそれで通じる子です」
って言ってくれるんじゃないかなって思ったんですよ。
そう思ったら泣けてきてしまいました。んで、こういう仕上げとなってしまったんですね(^^;)
どこまでも佐為好きか、お前…とかって石投げないでやってくだちゃい(汗)
ごめんなさいゴメンナサイ〜〜〜。

伊角さんのフォローがなくってごめんなさいです。
伊角さんはもう自分で修行して、身に付けたから、いいんじゃないかと思ってしまいました。
碁を、この道をいくぞっていう、決意。

和谷にも苦しい時期が来るんだろうなと思っているんです。
だから、これは私なりの和谷への応援歌、かな。
私は和谷が大好きだから。
ほんと、あんないい子はなかなかいないと思うから。
だから頑張ってね、和谷!


和谷誕生日にて。 しょこらん







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