神すら触れぬ柔らかい場所 ***1*** |
初めて好きだと、彼に告げた時の困惑したような瞳をよく覚えている。 「…それって…今までとは違うってこと?」 進藤は後頭部を掻きながら、僕を見ずに呟いた。 「…つまり君は僕をそういう風には見れないという意味か?」 告白した側にしては、随分と横柄なものの言い方だったと、今でも恥ずかしく思っている。 でも彼は、なぜか横を一瞬向いて、それから少しの間沈黙してから、僕を見て笑った。 「俺、ちょっとそういうの疎いけど、お前のことは特別に思ってる。それじゃ、だめか?」 その時はとにかく、嬉しかった。 特別に思ってくれているということ、僕の気持ちを否定されなかったことが、とにかく嬉しかった。 …そのときは。 半年経った今、彼が「そういうのに疎い」と言った意味を実感して、毎日苦しんでいる。 僕の進藤を好きだという感情は、空回りばかりしていて、どうしても進藤自身に近づけていないように思うのだ。 初めて彼を思い切り抱き締めたのは、彼が僕の部屋に遊びにきてくれた日だった。一局打って、母が出してきたおやつを食べていたら、夕暮れが近付いてきた。 「…綺麗な夕日だな」 不意に立ち上がって窓から西日を眺める横顔は、随分と無防備に見えた。つられて僕も立ち上がる。 僕の気配に気付いたか、振り向いた進藤は一瞬ひどく切なそうな表情をした。時々、進藤がこういう表情をすると、僕はどうしていいか分からなくなる。間違いなく、僕のことを考えている表情ではないのだから。だからといって、嫉妬などという感情を振りかざす対象にもできないほど、そこには近付きがたいものがある。 「…なあ塔矢」 もう一度僕に背を向けて、進藤は小さく呼びかける。 「なんだい?」 声の細さに横顔を覗き込んだとき、進藤は夕日を見たまま呟いた。 「俺のこと好きだったら…ぎゅってしてみて」 びっくりするほど進藤は弱々しい瞳をしていた。 切ない気持ちで思い切り僕は両腕に力を込めたんだ。 なんて愛しい生き物なんだろう、彼は。 もう、そんな気持ちで息がつまりそうだった。 腕の中に進藤がいる。その喜びはとてつもなく甘かった。 けれど。 「…こんな感じだったのかなぁ…」 小さな、本当に小さな声だったけれど、聞こえてしまった。 その瞬間、彼が全く違うところに気持ちを置いてたことが分かってしまって、僕は体中の温度が下がっていくのを感じた。抱き締めた腕を解けないままで、愕然としていた。 「塔矢?どうかした?」 腕の中からあどけない声が問う。耳には入っていたけれど、返事をする方法もわからなかった。 「塔矢?」 舌が足らないような語尾の上げ方を、泣きたいくらい好きだと思った。そして同時に、歯軋りしたいほど悔しかった。 僕が彼を想うようには、彼は僕を想ってくれていない。 その事実が、布が水を吸うように全身に染み渡っていくのを感じた。 「あー、宵の明星だ、そろそろ帰らなきゃな」 腕の中からのんびりとした声がする。 意外な単語が耳を通り過ぎていったせいで、僕は苦しみに捕らわれた思考を中断された。 「今なんて言った?」 思わず腕を離して、進藤の表情を覗き込む。 宵の明星だって?君は勉強は大嫌いだと言っていたじゃないか? 時々、彼はこういう…言い方は悪いが古臭いことを言う。 進藤は僕の問いに何も感じるところもないのか、笑顔で喋り出す。 「宵の明星。あれが出たら家に帰ったほうがいい時間なんだって……子供の頃じいちゃんやおかあさんに言われなかった?」 途中で僕の顔を見て口調が変わった。視線を外した。瞳の色が暗くなった。 進藤がどの部分に嘘をついているのか分からなかった。でも、彼は今、確かに嘘をついた。 何故君はそういう不自然な嘘をつく? 一体何を隠そうとしている? 問えば何かを壊してしまうかも知れない。 なぜかそんな予感がして、唇が動かない。 結局何も聞けず、いえないままに、僕は心臓から血が噴出しているかのような痛みを感じながら、彼を玄関で見送った。 苦しい。 進藤は僕を受け入れてくれているとは思う。 優しい顔だってしてくれる。 電話をしたら必ず出てくれる。 地方からだって電話してくれることもある。 会おうと言ったら、だいたい会ってくれるし、都合がつかない場合は必ず次に会う約束をしてくれる。 キスだってしたことある。してくれたこともある。 それは確かに好きでいてくれなければ、できないことだろう。 でも違う。何かが違う。 その違和感が、望んだものを手に入れながらも苦しいという、どこにも持って行けない苛立ちを自分の中に生んでいた。 ***2*** |