神すら触れぬ柔らかい場所
***4***


進藤に会う約束をした日になると、やはり気持ちが落ち着かなかった。
電話で進藤は謝ってきたけど、次に会う約束をしようとしたとき、自分の部屋を選択肢に挙げてはくれなかった。仲直りをしようと思って次に会う約束を取り付けるなら、僕なら同じ場所からやり直そうとすると思う。もし、僕の部屋で喧嘩をしてしまって、僕が謝って電話をかけたなら、僕は多分「また僕の部屋に来てほしい」と言うだろう。
でも彼はそうしなかった。
多分、僕に対して開きかけていた扉は、また閉じられたってことなんだろう。
なんとなく、そういう進藤の心の動きは、好きな分だけ分かったから、ちょっと辛かった。
そして、そう思う分だけ、進藤に立ち入ったことは聞けないようにも思った。
「sai」のことだって…進藤はいつか話すかもしれないとしか、言ってくれていないから、僕からそのことについて問いただしていいのかどうかも分からなかった。
一緒にいたかもしれない誰か。
そうして進藤に碁をやめようと思わせてしまうほどの影響力。
…どう読み解いたらいいかは分からないけれど、それを現実と考えればそこにある可能性としてあがる人物は、「sai」しかいないだろう。
でも、まだ聞けないんだろうな。
どうしてもそれを聞くまでには至っていない自分を感じる。
だからどういう態度をとったらいいか、決めかねたまま、待ち合わせの場所へ向かったのだった。



「ごめんなー」
言いながら走ってきた進藤の姿にほっとした。
もしかしたら、ああはいったけどやっぱり気が進まなくて来てくれないんじゃないかって…少しだけ不安になり始めていたから。
「電車の時間間違えてさー」
屈託なく笑いながら、拝むような仕草をする。
…もう、怒ってない…かな?
思わずじっと眺めてしまった僕の視線に気付いてか、進藤はもう一度謝った。
「ほんとごめん」
「あ、いや怒ってるとかじゃなく…とにかく、その…来てくれてよかった…」
うまい言葉が出てこなくて、とにかく僕はそう言った。その瞬間僕を見た進藤の表情は、今まで見たことがないような色をしていた。悲しいような、それにちょっと僕のことを哀れむような…なんていうか複雑な色。
「…遅れてきたの、俺なのにそんなふうに言うなよ」
小さく言って、やや俯き加減になった進藤の前髪が風に揺れる。そういえば、こうやって外で彼と会うなんて、実質初めてじゃないだろうか。
空は青くて、太陽は降り注いでいて、その下にいる進藤は風に髪を泳がせている。それは、とても明るい色彩。
その景色を見ると、なんだかここでこないだのことを持ち出して卑屈に謝ったりするのも、何かばかばかしく思えた。
「進藤…せっかくこうして会えたんだから、もういいことにしよう」
だから、僕は精一杯がんばって笑ってみた。
進藤がちょっと驚いたように目を見開いて僕を見詰めてくる。
今の会話をどこかの部屋の中でしたなら、きっと進藤の表情が息苦しくて、僕は声を荒げてしまったことだろう。そうしていつものように言い争いになっていたことだろう。でも進藤の声を風はさらって行くし、僕の中のわだかまりも太陽が照らす。
外で会うって、こういうことかな。
もう一度、進藤が意地悪なことを言い出したりしないように、笑顔を見せると、彼もぎこちなくだったけど、笑顔を返してくれた。
…進藤、それがとびっきりのものじゃないって、僕は知っているけど、それでもやっぱり君の笑顔は嬉しいよ。




「…で、今日はどこへ連れて行ってくれるんだい?」
この前の電話で、どこで会うかという話になって、たまには碁会所以外のところで会おうということになった。あまり街にくわしくない僕は、進藤のことを知りたい気持ちもあって、進藤に任せると言ってしまったのだ。
「今日か?天気もいいから遊園地にでも行こうと思ってさー」
からっと笑って進藤は歩き出した。
遊園地…。確かに平日だから空いているだろうけど…。
少し戸惑いながら進藤の後ろを歩く。多分JRにのるのかな?歩いて行く方向からそんなことを思っていると、突然進藤は振り向いた。
「塔矢、なんで後ろ歩くんだよー。並んで歩けよ」
言われてみれば最もだった。慌てて隣に並んで行く。
目の前の信号はちょうど赤から青に変わった。進藤が真っ先にスタスタと歩き出したのと、オートバイが角を曲がってきたのが同時だった。前しか見ていない進藤。
「危ない!」
叫んだ瞬間に体が動いた。
進藤が振り返ったのと、僕が進藤に覆い被さったのと、そして何かが自分の体に当たったのが全部同時のことのように思えた。








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